FA・ロボット業界の片隅から

FA業界の片隅のフリーランス機械設計者のブログ。 産業用ロボットウォッチが趣味です。

工学は科学と芸術の両側面があるからおもしろい

機械設計に限らず、設計のやりがいってなんだろうと考えたことがあると思います。
私の場合の、設計のやりがいについて書きたいと思います。

慣れからのマンネリ化

設計者になってすぐの頃は、とにかく色々な知識を吸収するのに必死で、あまり余計なことを考えている暇はありませんが、ある程度時間が経つと余裕が出てきます。
「ここにはあの時のあれが当てはまるな」「ここにはあの時に使った機械要素が使えるな」と分かるようになってきます。
それが経験を積んだということなのですが、ルーチンワーク化・マンネリ化の兆しでもあります。
心のスキマがふっと生まれて、
「このままこの仕事を一生続けるのかな?」「機械設計のやりがいって何だろう」と悩むことがあります。
私もそうでした。
なにか新しい発見があるわけではない、同じことの繰り返しのような毎日・・・
特に飽き性の人はそう言ったメンタル状態にハマることがあるのではないでしょうか。

「工」という漢字の形

ここで少し話を変えて、工学の工という文字の成り立ちについて説明したいと思います。

工という字は、上の横棒と下の横棒を、垂直な線が繋いでいる形ですね。
上の横棒は天の理、つまり物理法則を表しています。
下の横棒は人々の生活を表します。
垂直な縦棒が工学者であり、物理法則と人々の生活をつないで、豊かにすることが「工」であるというわけです。
・・・
実は、指金の形から変化して工になったなど、諸説ありますが、私はこの解釈が好きです。

物理法則というものは不変のものです。
ですが、物理法則を人々の生活にどう役立てるかには、その人ならではの発想・アイディアや価値観が反映されます

工学は科学と芸術の間

工学は、科学と芸術の両側面を持つと思います。
物理法則を発見した科学者は歴史に名を残していますが、その人でなくても遅かれ早かれ発見したと思います。唯一不変の真理だからです。
逆に、絵画や音楽などは、その芸術家が作品を遺さなかったとしたら、それ以降同じものが出てくることはほぼないでしょう。
では、工学分野はどうでしょうか?
蒸気機関や飛行機、その他もろもろ、同じ機能を持つ製品はできていたと思いますが、それを手掛けた人が違っていれば、違う形で実現されていたと思います。
物理法則という縛りがあるので、芸術ほどの振れ幅はないですが、法則のように唯一不変というわけでもありません。
その人が作ったから、その形になったのです。

私が手掛けたからこそ、この製品が世に生まれた

自分の仕事についても同じことを感じます。
私がこの設備の設計に携わっていなかったとしても、同じ機能のものはできていたでしょう。
あるいは、プロジェクトの途中で私が姿を消しても、その設備は完成するでしょう。
それは間違いありません。
ですが、私がいなかったらこの形にはなっていないし、私が追加したちょっとした工夫・気遣いはなかったかもしれない。
自分だからこそ作り出せる価値があること、これが、私が感じる設計のやりがいです。

納期や予算、その他もろもろの事情から思い通りにならないことも多いですが、マンネリ化しそうになったときは、そう思いながら、日々の仕事に向かっています。